司教の手紙

《2024年 年間目標》洗礼の恵みに気づき、それを生きよう(10)

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中野裕明鹿児島司教

中野裕明 鹿児島司教

鹿児島教区司教 中野裕明

「対話を通しての宣教」について

教区の皆さま、お元気でしょうか。
今回は「世界宣教の日」(10月20日)に因み、「対話を通しての宣教」についてお話しします。

さて、カトリック教会の姿を大きく変容させた第2バチカン公会議が閉幕してから来年で満60年になります。現在の教会の姿が当たり前と考えている人にとって、公会議以前と何がどう変化したのかについて知ることは、未来へのビジョンを持つために有益なことです。

その変化の一つは、カトリック教会の社会に対する姿勢が「対決」から「対話」へと転換したことです。福音宣教の視点からこの転換をお話ししますと、以前は、カトリック教会は「完全社会」であるとの認識から、社会の風潮に対抗あるいは対決していました。しかし現在は、この世にありながら、この世の中に「神の国」(神による統治)を成就させるために、復活したイエスは弟子たちを全世界に派遣したという理解に変わりました。(マルコ16・15参照)

したがって、「神の国はここにあるよ」と、まだキリストを知らない人々に知らしめることが、地域に散在している教会の存在理由であると説明します。

316年前の10月11日、屋久島の恋泊集落にイタリア人宣教師ジョバンニ・バチスタ・シドティ神父が単身上陸しました。来島の目的は、日本国の皇帝(徳川将軍)に会って禁教令の解除を要請するためでした。

承知のように、徳川幕府は鎖国政策をとっており、海外からの侵入者に対しては、密航者として捕縛していました。一方、長崎の出島ではオランダとの交易を続けていました。つまり鎖国政策とは、思想的に日本国の統一を錯乱させようとする外国勢力から日本を守るためのものであったのではないかとも言えます。

シドティ神父は日本への密航は日本の国是に反することであり、それを犯すと処罰されることになることを十分承知の上で日本の地を踏みました。当然ながら彼は捕らえられ、囚人とされ、長崎の奉行所で尋問を受けました。

ところで、1708年の日本ではキリシタンはほぼ壊滅状態でした。海外から潜入した宣教師は全員捕えられ、江戸にある切支丹屋敷に収容されていました。そこでは棄教が強いられ、それを拒むと処刑、棄教すれば日本名を与えられ生きながらえることができました。

長崎での尋問を終えたシドティ神父は、彼の願望が叶い、34年前から空席になっていた江戸の切支丹屋敷で、新井白石の尋問を受けることになります。

新井白石は、幕府の命を受け、シドティ神父を尋問します。

彼は当代随一の儒学者で、知性の固まりとも言える人材でした。尋問は西洋の地理、政治、文化、科学、言語など多岐にわたり、そこから得た知見は、後に『西洋紀聞』と『采覧異言』として出版され、日本の近代化への布石となったと高く評価されています。

シドティ神父と新井白石の対話

ところで、カトリック信者である私たちが、シドティ神父と新井白石との対話において注目すべき点は以下の通りです。

①両者とも個人というよりも、一国を代表する立場の人であること。

新井白石は、徳川将軍が最も信頼を置いている儒学者であり政治家でした。一方、シドティ神父も、ローマ教皇庁では、教皇、枢機卿に次ぐ、聴取官という3番目の身分であり、ローマ教皇庁の使節であることを主張していました。

つまり現在の国の制度に当てはめると、2人の会談のレベルは日本国、内閣総理大臣と駐日バチカン大使級の対話であるとも言えます。お互いに礼をわきまえ、敬意を払った紳士的な対話でした。

②地理、政治、科学などのいわゆる知性にわたる分野では、共通理解ができたが、キリスト教の教義については、新井白石はまったく受け入れなかったこと。つまり、対話は不可能でした。

③人間的、あるいは心情の面で興味深い対話がなされたこと。

新井白石は問いかけます。

「男子(あなた)がローマ教皇庁の命を受けて非常に遠い道のりを超えて行かなければならないとき、身の危険など顧みずに行動しなければならないことは言うまでもないことだ。しかし、お前の母はすでに年老い、兄ももはや血気盛んな年ごろを過ぎてしまったはずである。そのような母や兄をどのような気持ちで思い出しているのか」

これに対し、シドッティ神父は次のように返答しています。

「はじめ、国の推挙によって、教皇の命令を受けてからは、どのような困難に遭おうともそれを乗り越えて、我が身をこの日本に到着させたいと思うほか、なにも考えることができず、年老いた母も兄も私がこの日本への宣教を命じられたことを、信仰のため、カトリック教会のため、これにまさる幸せはないと喜び合ったものでした。しかし、私の体は残らずみんな、父母、兄弟と血の繋がっていないところはありません。私の生命が生き続ける限り、どうして、父母や兄弟のことを忘れることができましょうか。」

316年前と国情はずいぶん変わり、信教の自由を謳歌している私たちですが、日本で福音宣教を実行する困難さは変わっていません。ただ、2人の人格者の誠意に満ちた対話は、私たちの模範になるのではないでしょうか。

鹿児島カトリック教区報2024年10月号から転載

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