「信仰の旅路」を歩むための「点と線」
鹿児島教区司教 中野裕明
教区の皆さま、新年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて、今年はザビエルさまの列聖400周年に当たります。列聖式は、1622年3月12日でした。
ザビエルさまが1549年に鹿児島に上陸してキリスト教を伝えた事は日本では多くの人々に知られています。しかし、ザビエルさまが伝えたかった事、またそれがどのような方法で伝わったかについてはあまり知られていません。
聖徳・聖⼈としての証
そこで、日本で初めて、ザビエルさまを迎え入れた鹿児島教区として、ザビエルさまの聖徳、すなわち「聖人としての証」についてご一緒に考えてみたいと思います。
まず、カトリック教会が聖人を尊ぶ理由は、洗礼を受けた時にいただいた聖人の聖徳に倣って、信仰の旅路を歩むためです。
ザビエルさまは、137本の書簡を残しています。それらを読んで感じ取れる「聖人の証」なるものを私なりに取り上げ、皆さまと分かち合いたいと思います。
- かかわるすべての人(対象を限定しない)に対して、慈愛深い神の愛を示し、神を知り、愛するように仕向ける。
- 上記の目的の遂行のためには徹底的な自己浄化と謙遜を身に着ける。当時の言葉遣いによれば、いわゆる「霊的な武装」をする、となる。
- 貧しい人や病人を助ける。と同時に、彼らに祈りを教えて彼ら同士で助け合うように促す。
- 異なる宗教の人々と胸襟を開いて交わり、真摯な態度で対話をする。
- すべての事柄を、イエズス会のモットーである「より大いなる神の栄光のため」に果たす。
繋がる点と線
ザビエルさまの以上の諸徳を明確にした後、鹿児島上陸当時のいきさつを考察する時、点が線となって繋がってくるように思います。すなわち、
- 人を殺めたため良心の呵責に苦しんでいた罪人ヤジローがいた。
- 彼の相談役となったポルトガル船の船長アルヴァノ・ヴァスがいた。
- ヴァス船長はザビエルさまを高徳の司祭であると尊敬していたので、ヤジローに彼に会って話をすれば問題を解決してくれるだろうと話し、当時マラッカにいたザビエルさまに会う手筈を整えた。
- ヴァス船長はマラッカへの航海中、ヤジローにキリスト教を紹介したので、彼は、キリスト教の神は「ゆるす神」であることを知り、洗礼を受ける希望を持った。
- マラッカでのザビエルさまとヤジローの会見は、初対面であったにもかかわらず、ザビエルさまはすでに、ヴァス船長からヤジローの身の上話は聞いていたので、彼をゴアにある聖パウロ学院に送り、約1年間教理を勉強させたあと、洗礼を授ける。洗礼名は「信仰のパウロ」。
- 鹿児島上陸後、薩摩領主島津貴久と会見し、宣教の許可を得る。ここに、ザビエルさまの異国での治者に対する礼儀を重んじる態度が見られる。
- 禅宗の僧侶「忍室」と宗教談義を交わす。今日では当たり前となっている「諸宗教対話」のはじめ、と言える。
- 鹿児島を離れる際、ベルナルドと称する少年を同伴する。理由は、日本人にキリスト教を広めるためには、日本人自身が、西欧の世界を体験し、それを同国人に伝えた方が効果的であるとの考えによるものであった。後日、ベルナルドはポルトガルで日本人初のイエズス会修道士となる。このようなザビエルさまの宣教方針は、今日でいうなら、いわゆる「文化内開花」(インカルチュレーション)と言える。
鍵は、⾔⾏⼀致
ところで、現在の日本の教会の信者数は江戸幕府によるキリシタン禁教令発布当時とほぼ変わらないと言われています。何故、日本ではキリスト教徒が増えないのか、外国の方は、よくこの疑問を投げかけます。
かつて、ザビエルさまは、受洗したヤジローに尋ねました。
「あなたはキリスト教の何が素晴らしいと思って受洗したのか?」と。
ヤジローは答えています。
「聖体と告解(ゆるしの秘跡)です。」と。
ザビエルさまはさらに問いました。
「日本人はキリスト教を受け入れるだろうか?」と。
ヤジローは答えています。
「あなたの言っていることと行うことが一致していれば受け入れます。何故なら日本人は理性的だからです」と。
日本宣教の保護者であるザビエルさまの執り成しで、日本における福音宣教が前進できるように祈る1年でありますように。