鹿児島とキリスト教との出合いは、1547年12月、マラッカにおける鹿児島人アンジロとキリスト教宣教師フランシスコ・ザビエルとの出会いに始まる。この出会いによってアンジロは心の傷をいやされ、重荷から解放された。
2年後、2人はキリスト教布教のため相たずさえて鹿児島に上陸する。1549年8月15日のことであった。
以来、鹿児島とキリスト教との出会いは実にさまざまな仕方で繰り返されてきた。その中で、特異なのは西郷隆盛と「敬天愛人」の出会いであろう。
西郷の遺訓ともされる「敬天愛人」のルーツは中国にあった。研究者の語るところによれば、キリスト教が中国に伝えられた当寺、人々はその宗旨を「敬天愛人」に集約したと言う。(ちなみに、中国のキリスト教宣教師マテオ・リッチが北京で布教を開始したのは1601年であった。)
そして幕末、「敬天愛人」はついに西郷の耳に達し、その心を捉えた。
ここに小冊子を通して当地のカトリック教会を紹介するに当たり、神の愛と人の心の不思議を思いつつ、鹿児島の皆さんの幸せを切に祈る次第である。
(鹿児島教区長=糸永真一司教)
鹿児島教区宣教百周年記念誌「神は愛なり」(1991年刊)の序文から