門田明氏の鹿児島とキリスト教

ザビエルと島津貴久

投稿日:2007年3月1日 更新日:

門田明氏の鹿児島とキリスト教⑪

先号ではザビエルと忍室和尚の出会いについて話した。今回は領主島津貴久との会見について話したい。

会見の碑

会見の碑

1549年8月15日鹿児島に上陸したザビエルは、ひと月ほどたった9月29日、大天使聖ミカエルの祝日に、領主島津貴久と面談し宣教の許可を得ている。

「領主はたいへん丁重にもてなしてくださり、キリスト教の教理が書かれている本を大切にするように言われました。そしてもしも、イエズス・キリストの教えが真理であり、良いものであれば、悪魔はたいへん苦しむであろうと言われました。数日後、その臣下たちにキリスト信者になりたい者はすべて信者になってよいと許可を与えました。」(ザビエル書簡)

最初に、ザビエルを鹿児島に案内したヤジロウが貴久に引見される。
ザビエル書簡によるとこのときの領主は鹿児島から5レグア(28キロ)離れたところにいたという。

引見については「この地の領主も彼を引見して大いに喜ばれ、たいへん礼遇して、ポルトガル人の生活様式や気品の高いことなどについて尋ねられました。そしてパウロ(ヤジロウ)はすべての質問について詳しく説明をしましたので、領主はたいへん満足されました。」といっている。

ただ会見の地がどこであったかについては二説あり、完全な結論には至っていない。

河野純徳師は書簡の注で「マルドックは、鹿児島の北東の国分に居住していたと証言している。これはジョルジェ・アルヴァレスが領主を訪れたと言っていることにもとづいていると思われる(ザビエルの領主訪問は国分か伊集院か、論争されている。資料によると戦乱の状況から考察すれば伊集院であったと思われる)。」と判断を示しておられる。

ヤジロウは領主訪問に際して、聖母の聖画を持参したようである。領主も領主の母も非常に喜び感激し、その前にひざまずき拝礼したという。ザビエルの領主訪問は予期以上の成功を収めたようである。(玉里教会信徒・ザビエル上陸顕彰会会長)

鹿児島カトリック教区報2007年3月号から転載

お勧めの記事

中野裕明司教の紋章 1

鹿児島教区司教 中野裕明 「ミサ」の起源について 教区の皆さま、お元気でしょうか。 今年の司牧目標として、私は「ミサのカテケージス」を挙げました。その理由として、昨年の待降節から改訂されたミサ式次第の ...

中野裕明司教の紋章 2

カトリック教会は、信者の一人一人に降った聖霊のたまものとして①上智②聡明③賢慮④勇気⑤知識⑥孝愛⑦主への畏敬---をあげ、教会生活の中で、確実に実行され、徳として身に付けるように指導してきました。

中野裕明司教の紋章 3

鹿児島教区司教 中野裕明 教区の皆さま、お元気でしょうか。今月は聖心の月です。そこで、今回は聖心の信心についてお話します。 先ず、「イエスの聖心」は信心であって教義ではありません。教義はカトリック教会 ...

中野裕明司教の紋章 4

全世界の教会のために開かれる司教シノドスが実り豊かなものとなるよう、教会の母聖マリアの取り次ぎを神の民に願うことは誠に相応しいことであると思います。

中野裕明司教の紋章 5

鹿児島教区司教 中野裕明 教区の皆さま、主イエスのご復活おめでとうございます。復活の慶びが教区全体に行き渡りますように。 今回は復活節に因んで、イエスの復活についてお話しいたします。 私は、ある信者さ ...

中野裕明司教の紋章 6

世界には大小さまざまな真偽不明の情報が攪乱しています。そんな中、普遍な価値を選択し、神の国の実現のために私たちの信仰を今一度見直していきたいものです。

-門田明氏の鹿児島とキリスト教
-

Copyright© カトリック鹿児島司教区 , 2023 All Rights Reserved Powered by STINGER.