門田明氏の鹿児島とキリスト教

ザビエルと島津貴久

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門田明氏の鹿児島とキリスト教⑪

先号ではザビエルと忍室和尚の出会いについて話した。今回は領主島津貴久との会見について話したい。

会見の碑

会見の碑

1549年8月15日鹿児島に上陸したザビエルは、ひと月ほどたった9月29日、大天使聖ミカエルの祝日に、領主島津貴久と面談し宣教の許可を得ている。

「領主はたいへん丁重にもてなしてくださり、キリスト教の教理が書かれている本を大切にするように言われました。そしてもしも、イエズス・キリストの教えが真理であり、良いものであれば、悪魔はたいへん苦しむであろうと言われました。数日後、その臣下たちにキリスト信者になりたい者はすべて信者になってよいと許可を与えました。」(ザビエル書簡)

最初に、ザビエルを鹿児島に案内したヤジロウが貴久に引見される。
ザビエル書簡によるとこのときの領主は鹿児島から5レグア(28キロ)離れたところにいたという。

引見については「この地の領主も彼を引見して大いに喜ばれ、たいへん礼遇して、ポルトガル人の生活様式や気品の高いことなどについて尋ねられました。そしてパウロ(ヤジロウ)はすべての質問について詳しく説明をしましたので、領主はたいへん満足されました。」といっている。

ただ会見の地がどこであったかについては二説あり、完全な結論には至っていない。

河野純徳師は書簡の注で「マルドックは、鹿児島の北東の国分に居住していたと証言している。これはジョルジェ・アルヴァレスが領主を訪れたと言っていることにもとづいていると思われる(ザビエルの領主訪問は国分か伊集院か、論争されている。資料によると戦乱の状況から考察すれば伊集院であったと思われる)。」と判断を示しておられる。

ヤジロウは領主訪問に際して、聖母の聖画を持参したようである。領主も領主の母も非常に喜び感激し、その前にひざまずき拝礼したという。ザビエルの領主訪問は予期以上の成功を収めたようである。(玉里教会信徒・ザビエル上陸顕彰会会長)

鹿児島カトリック教区報2007年3月号から転載

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