紙面の主な記事
- 【1面トップ】「神の国」について--回心こそが世の人々への証=鹿児島教区長・中野裕明司教
- 【2面トップ】中野裕明司教様をお迎えして--徳之島教会と指宿教会
- 【3面トップ】司祭評等の役割と教区行事を確認--中野司教誕生後初のコンベンツス
- 【4面トップ】初めて「シドッチ祭」に参加して--枕崎教会・長野宏樹さん
2019年1月号のダウンロードはこちらから (812Kb)
投稿日:
2019年1月号のダウンロードはこちらから (812Kb)
お勧めの記事
約3年間の地上での宣教活動で発信されたイエスのメッセージの主旨はただ一つ、それは「あなたたちが信じ礼拝している神は、わたしの父であり、また、あなたたちのお父さんである」ということです。
人祖アダムの罪(原罪)の傷を負った人類は、あるいは、洗礼によって、原罪から解放された信者であっても、自分の責任で犯す神の十戒への違反は神から赦される必要があります。そうしないと、その人は一生、自己矛盾の中で苦しむことになります。
「幼児洗礼」と「成人洗礼」という二つの洗礼のかたちは、「親子愛」と「隣人愛」の関係で捉え直すことができるのではないかと思います。つまり、幼児洗礼を親子関係で、成人洗礼を隣人関係で捉えるという事です。
ミサでキリストの体をいただく信者は皆、キリストの体を形成している、という事です。1943年、教皇ピオ十二世は「キリストの神秘体」と題する回勅を発布し、当時の教会論の基礎に据えました。聖体拝領する信者はその度ごとにキリストを救い主とする信仰共同体を形成していくのです。
イエスの極めつけの言葉を送ります。「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。」(ヨハネ6・27)
Copyright© カトリック鹿児島司教区 , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.