ザビエルさまの記念日のミサは2015年12月3日午後7時から、カテドラルザビエル教会で行われました。
郡山司教は説教のなかで、「中国を目の前にして上川島で一人静かに天に召されたザビエルさまの宣教は失敗であったかもしれない。しかし、聖人は頑固なほど一途に自分の信念を貫かれました。」「私たちも聖人の熱意に倣い、主のみことばを生きることができるよう、いつくしみの聖年を機会に回心しなければならない」と説かれました。
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ザビエルさまの記念日のミサは2015年12月3日午後7時から、カテドラルザビエル教会で行われました。
郡山司教は説教のなかで、「中国を目の前にして上川島で一人静かに天に召されたザビエルさまの宣教は失敗であったかもしれない。しかし、聖人は頑固なほど一途に自分の信念を貫かれました。」「私たちも聖人の熱意に倣い、主のみことばを生きることができるよう、いつくしみの聖年を機会に回心しなければならない」と説かれました。
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今回は世界宣教の日(10月23日)に因み、禁教令下最後の宣教師シドティ神父についてお話します。彼は、1708年屋久島に上陸、すぐに捕らえられ、長崎の奉行所で尋問を受け、翌年、江戸に送られ、キリシタン屋敷に収監されます。
教皇フランシスコが命がけで、訴えていることは、二つの回勅で指摘されていることがらが真実であるかどうかを、私たちが暮らしている現場、あるいは日常生活の中で確認する作業を怠らないようにということです。
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「いのちの福音」は神からいただいたすべての「人間のいのち」について、カトリック教会の教えを体系的に論述したものですが、私は、胎児のいのちに限り、論点だけをお話いたします。
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