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聖土曜日 復活徹夜祭ミサでの中野司教の説教

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鹿児島教区の皆様、今年の聖週間の典礼は全世界で異常な形態で行われています。つまり、会衆の参加できない典礼です。それを非公開の典礼と言います。大勢の人々の参加があって初めて、荘厳な典礼ができ、皆さんが、信仰の喜びを体験できることが、典礼の目的でもあります。しかし、今年はそれができません。多くの信者の方々は、とても残念なことと感じていると思います。私も、皆さんと同じように、とても残念なことと感じています。

しかし、今回のこの非常事態の中で、多くのことを気づかせてもらっています。そのいくつかの点を皆さんと分かち合いたいと思います。

まず、申し上げたいことは、今年の復活徹夜祭は、約3000年前の「過ぎ越し祭」の原初の状態を体験しているということです。それは、イスラエルの民がエジプトでの奴隷の状態から解放されて、祖国に帰還できるきっかけとなった出来事が、この「主の過ぎ越し祭」だからです。この出来事は出エジプト記3章から12章に詳しく描かれています。又、DVDでも「十戒」というタイトルの映画で見ることができますので、是非ご覧ください。

さて、この出来事は、エジプトで奴隷の状態に置かれていた、イスラエルの民を、神はモーセを通して解放されるというドラマです。同胞を祖国に帰してほしいと懇願する、モーセに対して、当時絶大な権力を保持していたエジプトの王、ファラオは、帰還の許可を与えることを拒みます。その理由は、彼らは大事な労働力だったからです。

そこでモーセは神の指示に従い、彼を遣わした神の力を見せつけます。その中には、昆虫が食物を食い荒らしたり、人民が飢餓に陥ったり、疫病で財産である動物が大量死したりしたことなど、いわゆる国難がエジプト全土を襲います。しかし、王はますます心をかたくなにして、モーゼの要求を拒み続けます。

そして最後の手段として現れたのは、「主の過ぎ越し」です。

モーセは王に次のように告げました、「主はこう言われた。『真夜中ごろ,わたしは、エジプトの中を進む。そのとき、エジプトの国中の初子は皆、死ぬ、王座に座しているファラオの初子から、石臼を引く女奴隷の初子まで。また、家畜の初子もすべて死ぬ。大いなる叫びがエジプト全土で起こる。そのような叫びはかってなかったし、再び起こることもない。』」と。一方、イスラエルの民に対しては、「イスラエルの共同体の会衆は皆で夕暮れに子羊を屠り、その血を取って、子羊を食べる家の入口の二本の柱と鴨居に塗る。そして、その夜、肉を火で焼いて食べる。(中略)わたしは主である。あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。この日はあなたたちにとって記念すべき日となる。あなたたちは、この日を主の祭りとして祝い、代々にわたって守るべき不変の定めとして祝わねばならない。」

上記のことをよく理解するなら、今晩、私たちは、とても神秘的な夜の時間を過ごしていることがわかります。「主なる神が過ぎ越す」まさに歴史的な時間を共有しているのです。

イエス様の最後の晩餐、受難と死、埋葬は、まさに、この「主の過ぎ越し」を記念する、イスラエルの三大祭りに一つ、「パスカ」の最中に行われたということがとても重要なことです。

初代教会からの聖伝は、この時屠られた子羊は、イエス・キリストのこと。柱に塗られた血はイエスが十字架上で流された血。エジプトからの解放は、死から命への移行である、と教えています。つまり、イスラエル民族の独立のきっかけとなったこの出来事が、イエスの復活によって全く異なった意味を帯びてきたということです。

私たちは、出エジプトのもう一つの側面にも目を向けたいと思います。主はモーセを召し出して、次のように言っています。「わたしはまた、エジプト人の奴隷となっているイスラエルの人々のうめき声を聞き、私の契約を思い出した。それゆえ、イスラエルの人々に言いなさい、私は主である、私はエジプトの重労働の下からあなたたちを導き出し、奴隷の身分から救い出す。腕を伸ばし、大いなる審判によってあなたたちを購う。そして、私は、あなたたちを私の民とし、私は、あなたたちの神となる。」(出エジプト6,5~7)そして、この同じ神様は、モーセに、ファラオに告げるように次のように命じます、「私の民を(エジプトから)去らせ、荒れ野で私に仕えさせよ」と。

つまり、神は、ご自分の民を、エジプトの奴隷状態から解放するだけではなく。荒れ野で、ご自分を礼拝するように望んでいるのです。神に仕えるとは、礼拝することです。エジプトの王は、経済的理由のために、イスラエル人を奴隷の状態に閉じ込め、彼らの神を礼拝しに行くことを許可しませんでした。

現在、世界中が新型コロナウイルス疫病で苦しめられています。享楽か拘束か、経済か命か、富か神かの選択が、優先課題として一人一人に問いかけられています。グローバリゼーションのモットーである、ヒト・モノ・カネの世界規模の流通が、今寸断されつつあるからです。

今年の復活祭は、神と人、人と人、人と自然の関係回復を訴え続けている、教皇フランシスコの祈りが政治家をはじめとするすべての人に届くよう祈りましょう。

昨年11月下旬、訪日された、教皇フランシスコは回勅「ラウダート・シ ともに暮らす家を大切に」で、次のように言っています、「私たちは、環境危機と社会危機という別個の二つの危機にではなく、むしろ、社会的でも環境的でもある一つの複雑な危機に直面しているのです」と。

今回のコロナ疫病は「ある一つの複雑な危機」であるようにしか思えません。罪と死を打ち破った復活の主イエス・キリストに結ばれて、人類が人間の強欲を克服し、神のみ旨に沿った世界を築いていけるように祈りましょう。

鹿児島司教
中野 裕明

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