教区シノドス推進会事務局 長野宏樹
「主をお招きする」(第1段階)
前回は「『み言葉の分かち合い』と『聖書研究』との違い」について考えてみました。聖書講座や聖書研究会などは講師や自分たち自身が主体となって行われるのに対して、み言葉の分かち合いは、主キリストをお迎えしたうえで、その集いの中心に座って私たちに語りかけられる、キリストのみ声にじっと耳を傾けながら行われます。
1.祈りの種類
み言葉の分かち合いでは、「自由な祈り」が大切にされます。そこでその「自由な祈り」とはどういうものなのかを理解するために、まず「祈りの種類」について確認しておくことにいたします。
祈りにはいろいろな形ややり方がありますが、私たちがもっとも慣れ親しんでいるのは「口祷」と呼ばれるものです。この口祷以外にも、「念祷」や「黙想」、さらに「観想」などと呼ばれるさまざまなタイプがあります。
「口祷」にもいろいろな形があります。一般的には声に出して祈るのが口祷だと考えられていますが、声を出さずに心の中だけで祈っても、「ことば」を使って祈るものであればすべてが口祷と呼ばれます。
私たちがもっとも慣れ親しんできたのは、声を出すタイプの中の「定型の祈り」、すなわち祈祷書を用いるかそれを暗唱するかして、すでに作成されている祈りを声に出してするタイプのものです。しかしそれ以外にも、その場で心に浮かんだことをそのまま声に出したり心の中で申し上げたりする形の、「自由な祈
り」というものもあります。
2.集会を始めるときの祈り
これまでの私たちは、さまざまな会合を始めるときには祈祷書にある「初めの祈り」や「主の祈り」などをみんなで声をそろえて唱えるのが一般的でした。しかし「み言葉の分かち合い」の集いを始めるときには、そこに主をお迎えするために参加者たちが交互に「自由な祈り」をしてそれ以外の人たちはそれに心を合わせて共に祈る、というタイプの祈りをするのが効果的だといわれています。
最近はさまざまな集いの場で、「自由な祈り」と「定型の祈り」とを組み合わせた形の「始めの祈り」や「終わりの祈り」をすることも多くなってきたようですが、改めて「主をお迎えする」ための自由な祈りをしようということになると、そうたやすくできるものではありません。
「み言葉の分かち合い」にもいろいろな種類があるということを前回学びましたが、ほとんどどのタイプの分かち合いでも、「第一段階」にあたる開会の部分では、この「主をお迎えするための自由な祈り」をして集いを始めることになっているようです。
そこで今回は、この「主をお迎えする祈り」をどのようにすればよいかを、「7段階法(セブンステップ法)」を中心にしながら考えてみることにします。
3.「第一段階」の進め方
参加者たちは聖書と聖歌集を持って集まり、テーブルの回りに座ります。椅子に座っても畳の上に座ってもかまいません。そしてそのテーブルの上には、前もってローソクを置いておきます。司祭や修道者が参加する場合も、特別な席は用意せず、信徒たちと同じ席に同じ立場で座ります。
進行係は、できるだけ参加者たちが聖歌を歌って集いを始められるように心がけます。その聖歌が終わったならば、「この集いに主をお迎えしましょう。どなたか、何人でもけっこうですので、主キリストをお招きする祈りをしてくださいませんか」と言って、参加者たちに「自由な祈り」をしてくれるように頼みます。
それに応えて参加者の数名が、自発的に、「この集いの中に主キリストにおいでいただき、一人ひとりに語りかけ、集いを導き、力を与えていただきたい」という趣旨の自由な祈りをします。これは「招きの祈り」と呼ばれるものですが、祈祷書の祈りに慣れ親しんできた私たちがそのコツを会得するまでには、しばらく時間がかかるかもしれません。
何名かが祈り終わったならば、主がおいでになったことを表すために、準備していたローソクに火を灯します。主がそこにお座りになることができるように、一つだけ空席を設けておくのも効果的だといわれています。
4.「自由な祈り」の作り方
初心者が「自由な祈り」を作ろうとするときには、自分がよく知っている聖書の場面を心に思い浮かべながら行えばそれほど難しいものではない、といわれています。「聖書の中でキリストに語りかけているこの人物は自分なのだ」という気持ちをもって主に話しかければよい、というわけです。
「招きの祈り」を作るために参考になる聖書の箇所を挙げるとすれば、たとえば次のようなものがあります。
①ルカ24・28~31(エマオへ向かう道で、二人の弟子が主をお招きする)
②ルカ10・38~ 39(マルタ姉妹がイエスをご招待する)
③ヨハネ2・1~2(イエスがカナの婚礼に招かれる)
④マルコ5・21~24(ヤイロが、娘を癒していただくためにイエスをお招きする)
⑤黙示録3・20(戸口に立ってたたいている主を、家の中にお入れする)
主をお招きするときには、かしこまった感じではなく、自分の家族や親しい友人に話しかけるような気持ちで行います。そうすると、ことばは以外にすらすらと出てくるものです。
即席の祈りを作るのは難しいと感じるような人は、前もって自作の祈りを紙に書いておき、その場ではそれを読むだけにしてもかまいません。そんなことを何度か繰り返しているうちに、「自由な祈り」をするのはそれほど難しいものではない、と感じられるようになるに違いありません。
5.主の現存を実感する
主キリストは、「二人または三人がわたしの名において集まるところには、わたしもその中にいる」(マタイ18・20)と約束してくださいました。私たちが「主をお招きする祈り」を心を一つにして行った後で、ローソクの火が灯され、主のために用意された席が空けられたままになっている状況の中にいると、そこに主がおいでになっている、という実感が自然にわいてきます。たとえまだその実感がわいてこない人がいたとしても、主はすぐ近くまでおいでになっているに違いない、という感じにはなるはずです。
そういう状態になれば、その日の集いを始めるための準備はすっかり整ったことになります。後は、主のみ声にじっと耳を傾けさえすればよいのです。私たちのグループの一人としてそこに座っておられる主は、私たち一人ひとりに大切なことを語りかけ、集い全体をお望みの方向へ導いてくださるに違いありません。
鹿児島カトリック教区報2021年7月号から転載
【図解】み言葉の分かち合いとは「主をお招きする」(第1段階)
この記事を読んだ信徒の方から、み言葉の分かち合いとは「主をお招きする」(第1段階)図解の提供を受けましたので、皆さんの便宜に供したく掲載いたします。個々人はもちろん、小教区やグループなどでの分かち合いにご活用ください。