門田明氏の鹿児島とキリスト教③
先月号では、ザビエルを日本に案内したヤジローについて語り、彼を取り上げた2冊の本、岸野久『ザビエルの同伴者アンジロー』(吉川弘文館)と新村洋『天文十八年』(高城書房)を紹介した。ところで、この2冊の書物で、同一人物を、前者はアンジローと呼び、後者はヤジローと呼んでいる。何故こんなことが起こるのか、奇妙に思う人もあるだろう。一応私なりの説明をしておきたい。
先ずザビエルは彼の名を「angero」と表記している。他に「anjiro」「anjiroo」と表記した宣教師もあり、アンジロー、またはアンジロウと書かれるようになった。しかし、アンジローは、いかにも耳慣れない日本名である。歴史の本や小説などでも見たことがない。そもそも「アン」という言葉は、「暗」と同音であり、暗愚、暗黒など連想させ、子どもに名付けるとき、このような不吉な印象を与える語をわざわざ用いる親はいないだろう。一方ヤジローは弥次郎と漢字を当て、弥一郎、弥三郎などと並んで、広く普通に使われている名前である。
では、何故ヤジローがアンジローになるのだろう。実はここで少し音声学的な分析が必要だと思う。
人聞は、子供の頃から毎日使っている母国語の音声にない音を、正確に聞き分けたり再現したりするのが、非常に難しいことがある。ザビエルは、山口(ヤマグチ)を「アマングチ」と読んでいる。「アマングチ」の「ア」を「ヤ」に変え「ン」を取り除けば正確な「ヤマグチ」の音になる。同じことを「アンジロー」に当てはめ「ア」を「ヤ」に変え、「ン」を取り除くと「ヤジロー」になる。「グ」の前の「ン」と「ジ」の前の「ン」では若干違いがあるが、いずれも排除できるようである。
ザビエル時代の日本語通詞ロドリゲス・ツヅも「yajiro」が正しいと明言しており、私自身、パウロ・サンタ・フェの日本名としてはヤジローを使うのがよいと思っている。(玉里教会信徒・ザビエル上陸顕彰会会長)
鹿児島カトリック教区報2006年7月号から転載