クリスマスと言えば馬小屋。主人公はもちろん飼い葉桶の幼子イエス様。みことばが人となられた姿。傍らのマリア様とヨセフ様はあくまでわき役。
しかし、マリア様もみことばが人となられた方、と言えば思わず「えっ!」と驚いてしまうが、最近読んだ本(注)には次のようにある。「聖母は永遠の思惟(しい)であるお方によって観想され、またご満足なさったことにおいて、キリストに次ぐお方である。…」(59頁)。
思惟という言葉は難しいが「思い」と言っていい。聖書でことばは音になった言葉というよりも思い。思いだから、思い描くことになる。神様が思い描かれたもっとも完全な方として御子がいて、その次に完全なお方としてマリア様がおられる、ということになるわけで、それは永
遠の昔からあった神様のイメージ。
だから、罪とも縁のない無原罪の御やどりということになる。だから、マリア様は単なるわき役ではない。本当のわき役はヨセフ様。
つまり、マリア様は永遠の昔から御子とともに御父のもとにおられたわけで、救いの福音を世に知らせるためイエス様より一足早く地上に来られて救い主の母となられた。こうして、マリア様も幼子の誕生と共に世に現れた。だからクリスマスは、救い主の誕生日であると同時に
マリア様が救い主の母としてデビューを果たされた日で、マリア様のもう一つの誕生日。これがクリスマスの十全な意味。
だから、クリスマスは二つの誕生日を祝うときと言える。そして、クリスマスの数日後にはヨセフ様も含めた聖家族が祝われる。
で、少し早いが、メリークリスマス!
㊟「聖母マリア―マリア・ヴァルトルタによるマドンナの生涯」G・M・ロスキーニ著、天使館