門田明氏の鹿児島とキリスト教⑫
これまで、現在の鹿児島付近を中心に宣教活動をしていたザビエルについて話してきたが、彼は種子島にも立ち寄ったと言われる。ただ、それが鹿児島に来る途中であったのか、豊後を船出し南に向ったゴアへの帰り道であったか、両論可能なまま、今日に至っている。
昔、種子島では、日本に向かう海上交通の要路になっていて、外国の船がたびたび訪れている。1552年8月14日、ここに上陸した宣教師のひとりペドロ・デ・アルカソバは手紙のなかで「われわれが日本で最初に到着した土地は、種子島と呼ばれる島で、フランシスコ神父がすでに訪れたところです。ここの領主はわれわれを大いに歓迎してくれました。われわれは、そこに8日間滞在し、その間、島民によって非常に親切なもてなしを受けました」と書いている。
このように、アルカソバは、往きとも帰りとも断定してないが、帰路説の場合、フランシスコ・ザビエルは1551年11月の終わり頃、日本からマラッカに帰る途中、種子島に立ち寄り、種子島はザビエルが日本で訪れた最後の土地になったことになる。
著名なキリシタン研究家ディエゴ・パチェコ氏は、論文「ザビエルと種子島」(鹿児島県立短期大学地域研究所『研究年報』第21号、1992)で両論の可能性を詳しく論じておられる。興味ある方は参照されるとよいと思う。
その後キリシタン禁制時代に入って、島津藩主の母カタリナ永俊尼が信仰を強く護り、この島に流されたが、この島が宣教師たちゆかりの地であった事実や、島の人々の心に他郷の人に対する温かい思いやりの伝統があったことは、流刑の身にさぞかし大きな慰めになったことであろう。ザビエル訪問の島に何か信仰的予兆を感じるのである。(玉里教会信徒・ザビエル上陸顕彰会会長)
鹿児島カトリック教区報2007年5月号から転載