先月、ふとしたことから、島田神父様についての本(隠れキリシタンから司祭に―トマス島田喜蔵神父の生涯―中田秀和著)を読む機会を得た。神父様については無知に等しかったのでとても興味深く読ましてもらった。9月15日は、司教座聖堂献堂記念日でもあることから、にわか知識だが、神父様のことを少し分かち合ってみたい。
神父様は明治維新の12年前の1856年、隠れキリシタンの家庭で生まれた。11歳の時、母親の薦めで司祭を志すことに。しかし、禁教令下の当時、大浦教会の司祭館に身を隠しながらの生活を余儀なくされた。その後、他の志願者たちと共に香港に逃れ、パリ外国宣教会にかくまわれることに。そこでマゲを落とすことになったというくだりは笑えない。
「マゲがぽたりと落ちた時は首を落とされたようで、永久に日本から捨てられたように感じ、涙が出るほど悲しかった」(50頁)。やがて、横浜に送られて最終的には長崎の神学校で学ばれた。興味深いのは、その前の2、3年、試の期間として社会に出されたこと。神父様は、小学校の先生になったという。こうして、落伍者も出る中で、1887年31歳で司祭に叙階された。五島初の司祭。
最初の赴任地は大分で、臼杵のあと、1890年鹿児島に転勤。当初、川内の皿山におられたフェリエ神父様の元に身を寄せ、鹿児島入りを準備されたという。
鹿児島では、すでに宣教活動を始めていたプロテスタントから送られた4、5人の信者たちが毎日のように来ては議論を戦わせて帰っていった。神父様は、毎回、丁寧に応答され、カトリックの教義を親切に説かれたので、ついに、この人々はカトリックに改宗したという。最初の受洗者は12人。
ザピエル教会創設者、初代主任司祭トマス島田喜蔵神父様の聡明さと宣教師魂には敬服するが、詳細を記すには紙面が尽きた。機会があれば続きを書きたいと思う。