司教執務室だより

踊りのある「祭りミサ」を年一回実施してはどうか?

投稿日:

小学生によるエイサー

小学生によるエイサー

那覇司教の叙階式では「入祭の踊り」があった!

先月12日に行われた那覇教区の新司教は久しぶりに外国人でカプチンフランシスコ会のアメリカ人。叙階式も異色。ミサは通常通り始まったが、叙階の儀になると雰囲気が一変した。

聖堂に響く甲高い小太鼓の音と共に、会衆の中ほどから祭壇前に現れたのはお揃いの法被を着たカトリック小学校の女の子たち6人。めでたい席で披露されるというエイサーのためだ。開式の歌ならぬ開式の踊り。

アフリカかどこかの国では奉納行列は踊りながらなされると聞いたことがある。「ミサで踊りとは、やはりお国柄」と聞き流したものだが、最近少し違う感想を持つようになった。というのも、先月、タイ東北の教会やフィリピンでの元気いっぱいのミサを立て続けに体験したことが大きい。そして、日本のミサがあまりにも静かで元気がないことを痛感したのだ。

ミサは感謝の祭儀という。端的に言って祭りの要素がもっとあっていい。祭りと言えば踊りはつきもの。祭儀は必ずしも踊りを伴うものとは限らないが、少なくとも感謝祭となれば感謝や喜びをもっと表そうとするのが普通だ。

その点、ミサの祭儀はどちらかと言えば「厳かな祈り」の要素が強い。それはそれでいいのだが、自分としても静かで落ち着いたミサが好みではあるのだが、先月の二つのミサ体験を思うにつけやはり物足りない。

そこで提案したい。祭りは年一回が普通なので、踊りのある「祭りミサ」を年一回実施してはどうか。1年間、それに向けてしっかり準備する。入祭の歌や奉納の歌にかえて踊り。昨年の奄美での復活祭の野外ミサは、ややそれに近いものだった。地元で採れた農産物の奉納も目を引いたが、それに加えてツィズィン(小太鼓)と共に八月踊りでの入祭も野外ならそれほど違和感はないかと思われるがどうだろう。

ちなみに、MEのミサで一番盛り上がるのは平和のあいさつ。参加した夫婦たちがハグし合い、言葉を交わし合って体いっぱいで喜びを表す。そんな盛り上がりを年一回の「祭りミサ」で体験できたらと思う。

お勧めの記事

中野裕明司教の紋章 1

約3年間の地上での宣教活動で発信されたイエスのメッセージの主旨はただ一つ、それは「あなたたちが信じ礼拝している神は、わたしの父であり、また、あなたたちのお父さんである」ということです。

中野裕明司教の紋章 2

人祖アダムの罪(原罪)の傷を負った人類は、あるいは、洗礼によって、原罪から解放された信者であっても、自分の責任で犯す神の十戒への違反は神から赦される必要があります。そうしないと、その人は一生、自己矛盾の中で苦しむことになります。

中野裕明司教の紋章 3

「幼児洗礼」と「成人洗礼」という二つの洗礼のかたちは、「親子愛」と「隣人愛」の関係で捉え直すことができるのではないかと思います。つまり、幼児洗礼を親子関係で、成人洗礼を隣人関係で捉えるという事です。

中野裕明司教の紋章 4

ミサでキリストの体をいただく信者は皆、キリストの体を形成している、という事です。1943年、教皇ピオ十二世は「キリストの神秘体」と題する回勅を発布し、当時の教会論の基礎に据えました。聖体拝領する信者はその度ごとにキリストを救い主とする信仰共同体を形成していくのです。

中野裕明司教の紋章 5

イエスの極めつけの言葉を送ります。「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。」(ヨハネ6・27)

-司教執務室だより
-

Copyright© カトリック鹿児島司教区 , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.