クリスマスはベトナムで迎えた。二人の司教様と親しく語ることもできた。一人は、招待してくださったコントゥム教区の司教様で、もう一人はニャチャン教区の司教様。
共産党政権下にある教会の責任者として、それなりに気苦労があるようだった。山岳地帯にあるコントゥム教区とリゾート地にあるニャチャン教区とでは環境が大きく異なる。それだけに、二人の司教様の共産党との関わりにも違いがある。
山の司教様は共産党にとっては苦手な存在らしかった。なぜかは具体的によく分らないが、「聖地の整備も許可が出ないので進まない」と嘆いておられたところを見ると、政府に遠慮なく物を言う方なのかもしれない。
しかし、何十万もの巡礼者でにぎわうマリア様の聖地にある広い駐車場は軍の設備だという。また、司教様は、溝辺の修道院を教区に誘致する計画を進めておられてすでに敷地の確保も済んでいる。修道院建設の許可も下りたという。
二百ヘクタールの敷地には、シスターたちの生活のための産物の胡椒も植えつけられ、四月からは収穫が始まるという。政権からの締め付けがあったとしても、着実に計画を推進しておられる知恵の深さに感動した。
一方、町の司教様は政権とは良好な関係だという。クリスマスには、副知事が多くの部下とともに「クリスマスおめでとうございます」と挨拶に訪れるのが慣わしになっていると聞いて驚いた。
そういえば、来訪中の昨年12月25日の朝、車4台で挨拶に見えていたのがそうだったという。「カトリックの地域は社会問題も少ない」と教会の働きを評価したという。共産党政権の巧みな社交術はなかなかしたたか。
したたかといえば、今回の訪問で、タイプの違う二人の司教様が共産党政権に劣らぬしたたかさで教会を守り導いておられる姿に感動した。同時に、ベトナムの共産党に親しみを感じた。
父の一番の親友が共産党のリーダーヤスタロウさんだったことが思い起こされたからかもしれない。
違いを克服できるいつくしみの年であればいいと思う。