司教の文書

2023年〈年頭教書〉福音宣教の現場としての小教区とカトリック施設

投稿日:

中野裕明鹿児島司教

鹿児島教区司教 中野裕明

【2023年】鹿児島教区の司牧指針について

教区の皆さま、新年明けましておめでとうございます。

旧年中にいただいたお祈りとご支援に感謝申し上げます。

さて、年頭にあたり、今年の鹿児島教区の司牧指針についてお話しします。

今年はこれまで教区が歩んできた4年間の道を前進させることにあります。これまで歩んできた道とは、2019年10月に開催された「教区シノドス」の実りと、2022年10月に開催された「教区評議会」の実りを引き続き前進させることです。

先ず、「教区シノドス」の実りとは、①「ミサ聖祭のカテケージスの推進」であり、「教区評議会」の実りとは、②「小教区とカトリック施設(幼稚園・学校・福祉施設)が福音宣教のために連携する」というこの2点です。

この二つの実りは基本的には教皇フランシスコから要請があったシノドスのテーマ「交わり・参加・宣教」に沿った当教区の実践課題にあたると言えます。すなわち、前者は、「交わり・参加」を表現し、後者は、「福音宣教」を表現していると言えるからです。

①「ミサ聖祭のカテケージス」についてお話します。

昨年の待降節から始められた「新しいミサ式次第」の実施の機会に、単なる用語の変化や司祭の仕草の変更など、外見的な変更だけに注目するのではなく、信者一人ひとりが、ミサの意味、その構造、さらにその秘跡性など、その本質を深く理解することにより、ミサが真の意味で信仰生活の源泉であり頂点となることを目指すものです。

その実践方法については、各司祭方に委ねます。それは司祭の固有の務めだからです。

②「小教区とカトリック施設(幼稚園・学校・福祉施設)が福音宣教のために連携する」についてお話しします。

キリスト信者が少ない日本では、福音宣教のために、教会に施設を隣接させてきました。

それは、教会が社会との接点を設けるためでした。鹿児島教区も例外ではありません。多くの小教区に幼稚園が隣接しているのはそのためです。従って、そのころの信者さん方は、教会と一緒に施設も盛り上げてきました。具体的には人的支援です。

ところが、60年位前から、国が法人法を充実させた結果、それまで宗教法人で経営していたものが、法人格を取得することにより、国からの援助をもらって運営できるようになりました。教区内の幼稚園も教会の手を離れて法人のものになりました。

従って、カトリック施設は、カトリック、という看板は保持しながらも運営は完全に教会とは別物になっているのです。その結果、当初存在した教会と施設の一体感が少しずつ薄れてきたとも言えます。

このような現実の中で、施設の運営に携わってきた司祭や修道者が減少し、カトリック施設においてそこの魂である経営理念を正しく継承できる人がいなくなるというところまできています。

そんな中、司祭はイエスさまからの福音宣教という至上命令を十分に理解しながらも、小教区と施設の二股かけての働きには限界があります。

私は司教として、信徒の皆さまにお願いしたいことは、ご自分の専門分野で、司祭を支援出来ることがあれば積極的に申し出てほしいということです。

最後になりますが、今年の実践目標は個別のものではなく、お互いに連携しているものであるという事に心を留めていただきたいと思います。

信者は、「ミサで交わり、キリストの体に参加(結ばれ)し、福音宣教者となる。」この一連の流れを確実なものにしていきましょう。

この一年が全能の神の祝福で満たされますように。

鹿児島カトリック教区報2023年1月号から転載

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