門田明氏の鹿児島とキリスト教⑩
先号では、鹿児島に住み着いたザビエルについて話した。
この鹿児島で、ザビエルは玉竜山福昌寺東堂の忍室和尚と親しく交流している。
「僧侶たちのなかでもっとも知識のある人たちと幾度も語り合いました。そのなかで、とくにこの地のすべての人びとからたいへん尊敬されている方は、学識豊かで生活態度が立派で、高位にあり、また80歳の高齢であるためにたいへん尊敬されている方で、忍室と呼ばれ、日本語では(この名は)『真理の心』を意味しています。彼らのあいだでは司教に相当する地位(東堂)におられます。
・・・いろいろ話しあったなかで、霊魂が不滅であるか、あるいは身体とともに滅びるものであるかについて、彼が疑いを持ち、決めかねていることを私は知りました。彼は私に、ある場合には霊魂は不滅であると言い、他の場合には否定します。・・・」(聖フランシスコ・ザビエル全書簡)
ザビエルはこうも言っている。「この忍室は私とたいへん親しい間柄で、それは驚くほどです。」日本で初めての仏教とキリスト教、異宗教間の対話が行われた。きわめて重要な出会いであったと思う。
最近、山本年樹『遥かなるザビエル』(文芸社・2007)が出版されたが、忍室とザビエルの対話を、いかにも生き生きと再現しておられる。引用してみたい。
「パドレ、よくお見えになりました」
「忍室殿、あそこに座っている若い僧たちはなにをしているのですか?」
「あれは座禅といいましてな。いわば心の修業をしております」
「わが師イグナチオの教えの、霊操という心の鍛練にそっくりです。なにを黙想しているのですか?」
「無です」
「無?」というように対話が進んでゆく。お互い理解にはほど遠いと思うが、相互に深い尊敬の気持ちで別れたように思う。(玉里教会信徒・ザビエル上陸顕彰会会長)
鹿児島カトリック教区報2007年2月号から転載