門田明氏の鹿児島とキリスト教⑤
これまで、日本からの目でザビエルを語ってきた。一方、ザビエルもまた、日本の存在を知り、日本を求めていた。これから、ザビエルの目でその事情を辿ってゆきたい。
1548年1月20日、コーチンからローマに宛てた手紙で、ザビエルはこう言っている。
「マラッカの町にいた時、私がたいへん信頼しているポルトガル商人たちが、重大な情報をもたらしました。それは、つい最近発見された日本と呼ぶたいへん大きな島についてのことです。彼らの考えでは、その島で私たちの信仰を広めれば、日本人はインドの異教徒には見られないほど旺盛な知識欲があるので、インドのどの地域よりも、ずっとよい成果が挙がるだろうとのことです。」(聖フランシスコ・ザビエル全書簡・河野純徳訳平凡社)
たしかに、孤立した島国の日本人は、情報の伝達が頻繁な大陸の民族とは異なり、遠い昔からまことに好奇心旺盛な民族であった。
ザピエルはさらに続ける。「このポルトガル商人たちとともに、アンジロウと呼ぶ一人の日本人が来ました。彼はマラッカから日本へ行ったポルトガル商人(ジョルジユ・アルパレス)が私のことを話したのを聞いて、私を探してここまで来たのです。このアンジロウは、青年時代に犯した罪についてポルトガル人に話し、こんな大きな罪を主なる神に許してもらうための方法を求め、私に告解したいと思って[マラッカ]来たのでした。・・・彼はかなりポルトガル語を話すごとができます。私が言ったことを理解しましたし、私もまた彼の話が分かりました。」
これが、ザビエルと日本の最初の出会いとなった。(玉里教会信徒・ザビエル上陸顕彰会会長)
鹿児島カトリック教区報2006年9月号から転載