門田明氏の鹿児島とキリスト教

ルイス・デ・アルメイダ神父(2)

更新日:

門田明氏の鹿児島とキリスト教⑲

先号では、貿易商兼医師であったアルメイダが、1552年種子島に上陸し、仕事のため平戸、山口、大分など各地を巡るうち、宣教師の仕事に心を惹かれるようになり、イエズス会に入会して神父になり、福音的な社会事業にたずさわるようになったことを話した。

彼が大分で病院を始めると、その優れた医術や医薬はたちまち有名になり、日本の各地から患者が集まるようになった。

彼はこの病院で4年間、外科だけでなく内科、眼科、産科などでも働いていたが、やがて後進に道を譲り、1561年6月から諸国伝道に旅立った。彼が訪れた土地は、博多、平戸、鹿児島など九州全域にわたっている。

鹿児島では、ザビエルと親交のあった僧侶・福昌寺の忍室和尚の眼病を治療したという。

彼が伝道のため旅した地を年代を付して列挙すると、1562年博多・横瀬浦・島原・口之津、1565年堺・京都・奈良、1566年五島列島、1567年長崎(長崎では一年滞在し教会を創設)、以後、天草、大村、有馬ほか西九州一帯に布教し、一人で8,000人以上に洗礼を授けたという。

この働きが認められたのであろう。1579年、54歳のアルメイダ修道士はマカオに召還され、翌年初め司祭に叙階された。

そして、その年の6月、再び長崎に帰ってきた。が、間もなく天草地区の院長として同地に渡り、多くの教会を建てた。

その後、管区長の願いで薩摩に布教したが、大友・島津の戦の直後で精神的に動揺する社会情勢のもとで不成功に終わった。

1583年、過労のため衰弱がひどく、10月、58歳で生涯を閉じた。ニコニコと笑みを浮かべての昇天であったという。(玉里教会信徒・ザビエル上陸顕彰会会長)

鹿児島カトリック教区報2008年3月号から転載

お勧めの記事

中野裕明司教の紋章 1

「いのちの福音」は神からいただいたすべての「人間のいのち」について、カトリック教会の教えを体系的に論述したものですが、私は、胎児のいのちに限り、論点だけをお話いたします。

中野裕明司教の紋章 2

「イエスのみ心」の信心の始まりは、あくまで十字架上で血を流された、あのイエスの心(愛)を観想することです。「永遠のいのちの糧であるパン」と「多くの人の罪のゆるしのために流される血」を受けて、イエスの愛を生き、他者を愛する力が与えられるよう祈りましょう。

中野裕明司教の紋章 3

教区の皆さまお元気でしょうか。 わたしたちはこの5月を聖母月として過ごします。それは、5月が自然の中に、生命の充満を感じとれる季節でありますし、典礼においては復活したキリストがもたらした永遠の生命を賛 ...

中野裕明司教の紋章 4

新型コロナパンデミック、ロシアによるウクライナ侵攻という歴史的な変容の中で、主イエスの復活を黙想し、その意味を明かしていくことはとても意義深いことです。今回はこの復活祭の意味についてお話ししたいと思います。

中野裕明司教の紋章 5

中野裕明司教は2月28日、鹿児島の全教区民に日本カトリック司教協議会(会長=菊地功大司教)の会長談話を告知するとともに、ウクライナの平和のために「日本の教会と心を合わせて祈りましょう」と、呼びかけまし ...

-門田明氏の鹿児島とキリスト教
-

Copyright© カトリック鹿児島司教区 , 2022 All Rights Reserved Powered by STINGER.