門田明氏の鹿児島とキリスト教

ローマを訪れた鹿児島人ベルナルド

更新日:

門田明氏の鹿児島とキリスト教⑮

ザビエル公園のベルナルド像(右は聖ザビエル、左はヤジロウ)

鹿児島市のザビエル公園のベルナルド像 (右は聖ザビエル、左はヤジロウ)

先号では、ザビエルがヨーロッパに送った鹿児島人ベルナルドが1553年リスボンに到着したことを書いた。

このベルナルドについては、『キリシタン研究第五輯』(吉川弘文館・昭和34年)掲載の論文、Pasquale M.D.Elia S.J.「ローマを訪れた最初の日本人ベルナルド」(1555年)(本田善一郎訳)が詳しく取り上げているので、その要点を紹介する。

ザビエルは1549年8月15日鹿児島に上陸し、「日ならずして洗礼を施している。・・・その領内で最初に、さもなければ確かに2番目に洗礼を受けたのは、鹿児島のかなり貧しい青年であった。ザビエルはこの青年にベルナルドという霊名をおくった。」彼の正確な年齢、日本名はわからない。「ベルナルドはザビエルに接するうち、この人こそ自分の師として恥ずかしくない人だと思うようになった。それからは片時も聖人の側を離れず」、ヨーロッパに旅立つ日までその生活が続いた。(「」は上記論文引用)

リスボンに到着したベルナルドはイエズス会に心を惹かれるようになり、1554年2月頃入会を許可されている。そして、かねてからのローマ行きの希望がかなえられることになり、1554年7月17日逗留していたコインブラを発ち、正月初旬ローマに着いた。そして、教皇パウロ四世に謁見できたという。

しかし、この長い旅は彼に大きな負担となった。途中で体調を崩し、1557年初頭病勢が募り、3月3日灰の水曜日の少し前、多分二月中と思われるが、コインブラで永眠した。

彼の最期を看取った神父はこう言っている。「彼は聖人のように死んだのです。彼が我々と共に生活していた時、たえず我々の模範であったように、その死に臨んでも、また我々を深く感動させたのでした。」ベルナルドの霊性の深さを物語る言葉であり、数百年の歳月を経たいまも、若くして逝った彼の死を深く惜しむものである。(玉里教会信徒・ザビエル上陸顕彰会会長)

鹿児島カトリック教区報2007年8月号から転載

お勧めの記事

中野裕明司教の紋章 1

今回は私たちの信仰について、現状を考察し、未来に向けた方向性を分かち合いたいと思います。基礎になるのはもちろんイエスの言葉です。「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである」(マタイ5・17)

中野裕明司教の紋章 2

教皇が取り上げているこの「地球環境保護」というテーマは、単に、物理的な地球の生態系の変化のことを指しているのではなく、それは人間性の破壊に及ぶものであり、したがって、私たちの行動原理にまで、反省を促すものであります。

中野裕明司教の紋章 3

教区の皆さま、お元気でしょうか? 新型コロナ禍、自然災害等、心配事が多い中、希望を失わずに前進してまいりましょう。 シノドス提言の実践、今後の進め方のポイント さて、皆さまのお手元には、「教区シノドス ...

中野裕明司教の紋章 4

教区の皆さま、お元気でしょうか? 「教皇フランスコ訪日講話集」(カトリック中央協議会 2020年1月25日)のはしがきで菊地功東京大司教は次のように書いています。 「わたしたちは、薄っぺらな言葉が飛び ...

中野裕明司教の紋章 5

心を変えましょう!私たちの心が、少しでもイエスのみ心に近づくことができますように。

-門田明氏の鹿児島とキリスト教

Copyright© カトリック鹿児島司教区 , 2020 All Rights Reserved Powered by STINGER.